
東京のきらびやかな夜景が広がる、ある高級ホテルの最上階。そこに店を構える高級割烹「月華」の個室に、新社会人になったばかりの田中美咲はいた。向かいには、少し緊張した面持ちの父・健一と、嬉しそうに店内を見回す母・陽子。
「まさか美咲がこんな高級なお店を予約してくれるなんてねぇ。お父さんもびっくりしてるでしょ?」
陽子が健一の腕を小突くと、健一は「まあな」と短く答えたが、その表情はどこか嬉しそうだ。美咲はそんな両親の様子を眺めながら、内心そわそわしていた。
(別に、お礼とかじゃないし……。ただ、社会人になった記念ってだけなんだから)
そう自分に言い聞かせるも、初任給を握りしめて楽天市場でプレゼントを探した日々が思い出される。普段、素直に感謝の気持ちを伝えられない美咲にとって、これは一大イベントだった。
楽天市場での品定め
数週間前、美咲はスマホを片手に楽天市場をさまよっていた。
「両親へのプレゼント……感謝の気持ち……」
検索窓に打ち込む言葉は、どれも美咲の心とは裏腹に、かしこまったものばかりだ。
『ペアグラス 夫婦』『名入れ 日本酒 両親』『高級 タオルセット』
様々な商品がヒットする中で、美咲の目に留まったのは、京都の職人が手作りしたという**「京組紐の夫婦箸」**だった。シンプルながらも上品なデザインと、「永く共に」というメッセージに惹かれた。これなら、普段使いもできるし、押しつけがましくない。
(別に、感謝とかじゃないけど……。まぁ、使ってくれたらいいか)
そうぶっきらけた理由をつけて、美咲はすぐに購入ボタンを押した。
割烹でのひととき
美しい前菜、旬の魚の刺身、そして見事な器に盛られた創作料理の数々。どれもが舌を唸らせるものばかりで、会話も弾んだ。しかし、美咲の心は、コース料理が進むにつれて高鳴っていった。食事が終わりに近づき、デザートが運ばれてくるタイミングで、美咲は意を決した。
「あのさ……」
美咲が口を開くと、両親の視線が美咲に集まる。美咲は一度深呼吸し、持ってきた紙袋をテーブルに置いた。
「これ、初任給で買ったもの。別に、深い意味とかないけど……。いつも、迷惑かけてるから。その、感謝……してる、っていうか」
照れくさそうに言葉を濁す美咲に、陽子の目からは早くも涙が滲み始めていた。健一は何も言わず、じっと美咲を見つめている。
美咲は紙袋から丁寧に包まれた夫婦箸を取り出し、二人に差し出した。
「これ……夫婦箸。なんか、職人さんが作ったとかで……丈夫らしいから、使ってよ」
陽子は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、箸を手に取った。
「美咲……こんな素敵なものを……ありがとう。本当に、ありがとう……!」
健一も無言で箸を受け取ると、その表情には珍しく柔らかな笑みが浮かんでいた。
「まったく、素直じゃないんだから。だが……大事に使わせてもらう」
健一のその言葉に、美咲の胸のつかえが少しだけ軽くなった気がした。
美咲が精算を済ませて個室に戻ると、二人は箸をじっと眺めていた。美咲は少し離れた場所からその姿を見つめ、心の中でそっとつぶやいた。
(これで、少しは伝わったかな……。これからも、迷惑かけるだろうけど、よろしくね)
東京の夜景が、家族三人を優しく包み込んでいた。

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